女真族(中国・満州)が攻めてきた!平安時代の対外危機「刀伊の入寇」に武士団を率いて藤原隆家が奮闘!:2ページ目
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刀伊の入寇:対馬・壱岐への来襲
刀伊の入寇は、まず対馬島に来襲し、その後壱岐島、九州北部沿岸へと進んでいきます。対馬島では18人が殺害され、116人が連れ去られたと言われています。
また、壱岐島では国司である藤原理忠を含む148人が殺害され、239人が連れていかれたとされています。
藤原隆家は刀伊の入寇を朝廷に伝え、自ら撃退
刀伊の入寇の記録が今に伝わっているのは、当時太宰権帥であった藤原隆家が飛脚便で朝廷に報告し、藤原実資には私信で経緯を伝えたからでした。
藤原実資が記した『小右記』という日記には、刀伊の入寇についての記録が残っています。ちなみに、飛脚便といっても当然ですが現代とは手紙が届くスピードも異なり、約10日ほどかかったといわれています。
藤原隆家は、自ら武士団を率いて女真族を撃退しました。藤原隆家は藤原道長の兄・道隆の次男です。隆家は道長と対立し一時出雲に流されており、この当時は眼病の治療のために大宰権帥になっていましたが、事実上の左遷といえるでしょう。
なお、藤原実資は藤原道長と距離を取っており、このことも隆家が実資に私信を送った理由と考えられています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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