藤原氏、全盛期への足がかり……平安時代に起きた他氏排斥事件「安和の変(あんなのへん)」とは?:2ページ目
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安和の変で、源高明が左遷される
源高明が外戚となることを阻止できた藤原実頼ですが、源高明が邪魔な存在であることは変わりありません。そこで、969年(安和2年)、源満仲(みなもとのみつなか)が謀反の恐れを密告します。
密告の内容などは詳しくわかっていませんが、ここで真っ先に疑われたのが源高明でした。そして、源高明は大宰権師へと左遷されてしまうのです。
安和の変のあと、何が変わったのか?
安和の変で他氏排斥を実現した藤原氏は、政治の中心に立ち、実権を握っていきます。この事件のあとは、常に摂政と関白が置かれるようになりました。
藤原氏の権力が強くなり、他氏が脅威になることはなくなってきましたが、その後藤原氏の内部での権力争いは起こりました。例えば、藤原道長と彼の兄の息子(藤原伊周)との権力争いは有名です。
安和の変で源高明は左遷されてしまいましたが、彼の末娘・源明子(みなもとのめいし/あきらけいこ)は道長の姉・詮子の庇護を受けて、道長と結婚します。そして、彼らの子どもである俊賢と経房兄弟は、それぞれ権大納言、権中納言を務めました。
ちなみに余談ですが、源明子は紫式部の『源氏物語』に出てくる源典侍(げんのないしのすけ)のモデルとも言われています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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