幕末期のいわゆる江戸城無血開城は、この時代を描く映画やドラマなどでは大変重要なシーンです。無血開城に至るまでの流れはコチラの記事を参考にしてください
日本が近代国家へと変貌を遂げた第一歩「大政奉還」がなされた背景とは!?【幕末をわかりやすく】
わかりにくい幕末をわかりやすく解説。前回の「ペリーの浦賀来航」についての記事はこちらからどうぞ。[insert_post id=190364]1867年10月、最後の15代将軍となった徳川慶喜…
もともと、日本の歴史では、敗者はその本拠地を抹消されることがほとんどでした。例えば徳川家康は、大坂夏の陣で大坂城を全焼させています。
幕末期も、もともと新政府軍は江戸城に総攻撃を加える予定でした。
もしもこれが実現していたら、江戸の町は戦場となります。市街戦によって江戸の庶民が犠牲になり、徳川慶喜も切腹に追い込まれていたかも知れません。
この計画が、実際にどのような経緯を辿ったのかは皆さんもご承知の通りです。江戸幕府の幕臣たちが新政府軍と交渉し、江戸城は無傷のまま明け渡されることになりました。
しかしこれは、あくまでも幕府軍と新政府軍の「全面衝突」が避けられたというだけの話です。実際には、江戸城と城下町は無傷とはいえない状態でした。
※関連記事:どう考えても血まみれ!幕末の「江戸城無血開城」は本当はおびただしい犠牲の上に成立した!?
「無血開城」までの経緯幕末~明治期の混乱の中で実現した「江戸城開城」といえば、勝海舟と西郷隆盛の話し合いで、一滴の血も流さず本拠地を明け渡した「無血」「平和的」解決というイメージですね。こ…
これはどういうことなのか、以下で解説しましょう。