敵将に一騎打ちを要求!侍女34人の”女軍”を率いて毛利軍と戦った戦国時代の女傑「鶴姫」の活躍:3ページ目
鶴姫の活躍と最期
上野一族の惨状を目の当たりにした鶴姫は、毛利氏に一矢報いようと出陣を決意。
鎧に1メートル余りの太刀を身に着け、紅の薄衣を鎧の上に羽織り、白柄の薙刀を脇に挟んで庭に飛び出しました。
この様子を見た侍女は「女性が戦えば、死後に修羅の責め苦に遭ってしまいます。」と制止します。
しかし、鶴姫は「この戦場を西方浄土と見立て、修羅の苦しみを極楽への営みと思えば、何も苦しくない。」と笑って制止を振り切りました。
この覚悟に触発された34人の侍女は、鶴姫の後を追うように出陣しました。
鶴姫率いる女軍は、乃美宗勝率いる700人の毛利軍と対峙。敵を討ちつつ犠牲を出しながら宗勝を見つけると、鶴姫は一騎打ちを申し出ます。
しかし、女性だから一騎打ちはできないと宗勝は応じませんでした。
宗勝の反応を受け、鶴姫は持っていた太刀(三村氏秘蔵の名刀・国平)を宗勝に渡し、死後を弔ってほしいと願い出た後、常山城に撤退。
その後は南無阿弥陀仏を念じ、短刀を口にくわえながら、そのままうつ伏せになって絶命しました。
生き残った侍女たちも後を追うように自害したといわれています。
鶴姫の最後を見届けた隆徳は、切腹して命を絶ちました。
最後に
最期まで武士としてあろうと毛利氏に対抗した鶴姫。
ここまでの徹底抗戦を断行したのは、父・家親より太刀や薙刀などの武芸を仕込まれ、男勝りの女性として育てられた背景があったことがうかがえます。
結局のところ、毛利氏に大打撃を与えることはできませんでしたが、三村一族の気概を見せつけることはできたと考えてしまいます。
ちなみに、常山城は現存しておりませんが、常山城跡の山頂付近には鶴姫や34人の侍女を祀った「女軍の墓」が残されています。
参考:楠戸義昭『戦国武将の本当にあった怖い話 』2013年、三笠書房