敵将に一騎打ちを要求!侍女34人の”女軍”を率いて毛利軍と戦った戦国時代の女傑「鶴姫」の活躍:2ページ目
上野一族の悲劇
備中兵乱を受けて元親の家臣・上野隆徳は鶴姫と共に三村氏に味方しました。天正3年(1575)には備中松山城が落城し、鶴姫の兄である元親は自害。
子の勝法師丸も討ち取れたことで戦国大名としての三村氏は滅亡しました。
元親の死を受けて、隆景は隆徳が守る常山城へ軍を向け、約6500人で城を包囲します。
隆徳はわずか200人の兵を率いて戦いますが、風前の灯火でした。そして、一族自決を決めた隆徳は、女性も含めた別れの酒宴を催しました。
酒宴後、57歳の継母が柱に刀の柄を縄で巻きつけ、そこに突進し自害。隆徳の長男・隆秀は腹を十文字に切り自害し、次男を隆徳は刺殺します。
そして、隆徳の妹は継母が使用した刀を使って自害しました。隆徳は自害した継母と隆秀、妹をそれぞれ介錯しました。