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苦労を共にした妻を捨てるような男には呪いを…花山天皇の側近・藤原惟成(演 吉田亮)の生涯をたどる【光る君へ】

苦労を共にした妻を捨てるような男には呪いを…花山天皇の側近・藤原惟成(演 吉田亮)の生涯をたどる【光る君へ】

花山天皇の側近
藤原 惟成(ふじわらのこれしげ)
吉田 亮(よしだ・りょう)
花山天皇の乳母子(めのとご)。藤原義懐とともに花山天皇をそばで支える。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(人物紹介)より。

花山天皇の側近として権勢を振るった藤原惟成。

藤原義懐と共に、並居る宿老たちを押しのけるかのごとく改革を推し進めた二人ですが……。

果たして藤原惟成とはどんな人物だったのか、その生涯をたどってみたいと思います。

花山新制の立役者として活躍するが……

藤原惟成は天暦7年(953年)、藤原雅材(まさき)と藤原中正女(なかまさのむすめ)の間に生まれました。

中正女が師貞親王(花山天皇)の乳母となったため、その子である惟成は乳母子(乳兄弟)となったのです。

現代的な感覚で言えば「ベビーシッターの息子」程度の関係でしょうが、当時の乳兄弟はなまじ実の兄弟以上に篤い絆がありました。

だからあんなに信頼されていたのですね(劇中では逆上した師貞親王に冠をはぎ取られていましたが……)。

さて、気を取り直して藤原惟成は円融天皇・花山天皇の2代に仕え、特に花山天皇の御代においては政策の実務を担当します。

破銭法(貨幣の流通促進)や沽売法(物価統制)、荘園整理令など、いわゆる「花山新制(花山天皇の政治改革)」を経済面で支えるブレーンとなりました。

五位という貴族としては中堅クラスでありながら、国政を大きく動かす様子に、人々は「五位摂政(五位なのに、摂政のごとく権勢を振るっている)」とあだ名されたとか。

しかし寛和2年(986年)に花山天皇が藤原道兼(ミチカネ)に騙されて出家。寵愛していた藤原忯子(しし/よしこ)を昨年に喪い、悲嘆に暮れていたためと言われます。

このいわゆる「寛和の変」で権力の座から転げ落ちた藤原惟成は、花山天皇の後を追って出家したのでした。

そして永祚元年(989年)11月1日、藤原惟成は37歳でこの世を去ります。

2ページ目 苦労を共にしてきた妻を捨てた報いは……

 

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