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歴史は美化され誇張され…新選組を有名にした「池田屋事件」実は手柄を誇張するため”話を盛ってる”可能性アリ

歴史は美化され誇張され…新選組を有名にした「池田屋事件」実は手柄を誇張するため”話を盛ってる”可能性アリ

会津・桑名は本当に遅れたのか?

ところが『孝明天皇紀 第五見聞雑記』には途中で会津・桑名が合流し、新選組とともに50名の大勢で池田屋に乱入したと書いてあります。

両藩が身分の低い浪人たちにお手柄を颯爽と横取りされたのを、妬んだり体裁が悪いから誤魔化したのでは…?と思いたいのですが、実は新選組生き残りの島田魁も、「六月五日夜、会津両藩当組と合シメ、七つ時(午前3時30分)頃切り込んだ」と日記に記しています。

島田魁は土方隊に所属していました。そして彼は死ぬまで「誠」の腕章を手放さなかったというほど、心は「新選組」のまま逝った隊士。明治になって書かれた手記ですが、人生を左右した事件の記憶が曖昧になることは考えにくいと思われます。

やはり会津・桑名が後からやってきたというのは、新撰組の活躍をちょっと誇張したい後世の演出のようです。

参考:ビジュアルワイド江戸時代館(小学館)

 

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