近代日本の国際結婚第一号は明治時代、ドイツ留学生とドイツの女性。以後、続々と国際結婚が誕生:2ページ目
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また、1872年(明治5年)に、長州藩のイギリス留学生・南貞助とイギリス人女性・ライザ・ピットマンとの結婚が翌1873年6月3日に日本政府太政官によって許可され、これが日本における法律上公式な国際結婚第一号であるとされています。
二人はその後、離婚してしまいました。
その後もイタリアの銅版画家のエドアルド・キヨッソーネ、ドイツ人医師のエルゥイン・フォン・ベルツ、イタリアの彫刻家のヴィンチェンツォ・ラグーサ、イギリス人の文学者のラフカディオ・ハーンなど、西洋から来日した男性を中心に、日本人女性との間に次々と国際結婚がなされるようになりました。
参考
- 小山騰「明治前期国際結婚の研究:国際事項を中心に」『日本近代研究』Vol.11,1994
- 『日本宣教の夜明け 』(2009 マナブックス)
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