愛し合う江戸時代の武士たち…衆道(男色)の心得とは何か?武士道の教範『葉隠』かく語りき:2ページ目
「互いに生命を捨てて愛し合う覚悟を固めたならば、よくよく性根を見極めねばならない。この段階でもダメだと見切ったら、一切の未練を断ち切って拒絶すべきだ」
「相手が『拙者のどこがダメなのか』とすがって来ても、理由を一切言ってはならない。どうせ『悪いところは直すから』などと引き止めを図るだろうが、それで直るなら元からとうに直っているものである。相手に余地を残してはならない」
「だからかけるべき言葉はただ一つ。『生命がある内に言うべきことではない』と。これで引き下がればよし、なおもすがりつくような卑怯未練の振る舞いを見せるならば、これは斬り捨てるよりあるまい」
「また、そなたが年長者として若衆を迎え入れることを見届ける時も、基本は同じである」
「『この者のために生命を捨てられるだろうか』五、六年も真摯に想い続け、それが振る舞いに実践できれば、相手も認めてくれるであろう。逆に言えば、それが酌みとれぬような男ならば、その程度と諦めもつくだろう」
「なお、男を愛し女も愛する二道は厳に慎まねばならない。性別は違えど、同時に二人を誠実に愛し抜くなどできないからである」
「二人の主君に対して同時に忠義を尽くせるか、考えてみれば解ることだ」
「とにもかくにも、武士として奉公に励むと共に、文武に己を高め続けよ。それでこそ武士道に適うのだから」
……との事です。
終わりに
一八一 式部に異見あり。若年の時、衆道にて多分一生の恥となる事あり。心得なくして危ふきなり。云ひ聞かする人がなきものなり。大意を申すべし。貞女二夫にまみえずと心得べし。情は一生一人のものなり。さなければ野郎かげまに同じく、へらはり女にひとし。これは武士の恥なり。「念友のなき前髪縁夫もたぬ女にひとし。」と西鶴が書きしは名文なり。人が嬲りたがるものなり。念友は五年程試みて志を見届けたらば、此方よりも頼むべし。浮気者は根に入らず、後には見離す者なり。互に命を捨つる後見ならば、よくよく性根を見届くべきなり。くねる者あらば障ありと云うて、手強く振り切るべし。障はとあらば、それは命の内に申すべきやと云ひて、むたいに申さば腹立て、なほ無理ならば切り捨て申すべし。また男の方は若衆の心底を見届くること前に同じ。命を抛ちて五六年はまれば、叶はぬと云ふ事なし。尤も二道すべからず。武道を励むべし。爰にて武士道となるなり。
※『葉隠聞書』第一巻
以上、衆道の心得について紹介してきました。
恋愛というのは往々にして浮ついたものですが、武士たる者は、愛し合うのも生命がけ。少なくとも、そういう至誠が求められたようです。
斬り捨てるまで行かずとも、パートナー選びのコツなどは、現代の恋愛にも応用できるのではないでしょうか。
近年はLGBTQと言った性の多様性が謳われていますが、真剣に愛し合うのであれば、いかなる形も受け容れられるべきと考えます。
(もちろん、TPOを考えるべきことは男女の恋愛と変わりません)
純粋に相手のことを想う姿は、時代も性別を超えて尊いもの。そんなことを考えさせられる教訓でした。
※参考文献: