あの井上馨の命を救った!?幕末、祇園一の美貌の持ち主だった芸妓・中西君尾とは?:2ページ目
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高杉晋作や井上馨との交流も
有名な高杉晋作(たかすぎしんさく)も中西君尾と交流を持ちます。ただし、これは自分自身の愛人に、という理由ではなく、同じく長州藩士の井上馨(いのうえかおる・当時は井上聞太という名前)と君尾を引き合わせるためでした。
井上が中西君尾に惚れたことはもちろん、君尾自身も井上のことを愛していました。
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あるとき、井上が刺客に襲われた際、懐に入れていた鏡に刃があたり、一命をとりとめたというエピソードがあります。その鏡は、中西君尾が井上に渡したものでした。
維新後も芸者を続けた
多くの志士たちを夢中にさせた中西君尾ですが、最後に結ばれたのは品川弥次郎。彼との間には子どもをもうけています。維新後も彼女は芸者を続け、75歳のときになくなりました。
ちなみに、新政府軍が江戸に向かう際に歌った「風流トコトンヤレ節(「宮さん 宮さん お馬のまえの ひらひらするものなんじゃいな」という歌)」は、品川が作詞し、君尾が作曲したという説もあります。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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