酷すぎる!だけど…内裏へ送り込まれた藤原遵子(中村静香)に向けられた心ない侮辱とは【光る君へ】:3ページ目
終わりに
……かの大納言殿、無心の言一度ぞの給へるや。御妹の四条の宮の、后にたゝせ給ひて、始めて内へ入り給ふに、西ノ洞院のぼりにおはしませば、東三条の前を渡らせ給ふに、大入道共も、故女院も、胸痛く思しめしけるに、按察使大納言殿は、后の御せうとにて、御心ちよく思されけるまゝに、御馬をひかへて、「この女御は、いつか后に立ち給ふらむ」と、うち見入れての給へりけるを、殿をはじめ奉りて、その御族、安からずおぼしけれど、男宮おはしませば、たけくぞ。よその人人も、やくなくもの給ふかなと聞き給ふ。一条院位に即かせ給へば、又女御后に立たせ給ひて、内に入り給ふに、この大納言殿の、亮に仕うまつり給へるに、出車より扇をさし出して、「やゝ物申さむ」と、女房のきこえければ、何事にかとて、うちより給へるに、進の内侍顔をさしいでて、「御妹の素腹の后はいづくにかおはする」ときこえかけたりけるに、「先年の事を思ひおかれたるなりけり。みづからだにいかにと覚えつる事なれば、道理なくなりぬる身にこそ、とこそおほえしか」とのたまひけれ。……
※『大鏡』一、大納言頼忠
【藤原遵子・略年表】
天徳元年(957年) 誕生(1歳)
貞元3年(978年) 入内して円融天皇の女御となる(22歳)
天元5年(982年) 中宮となる(26歳)
永観2年(984年) 円融天皇が花山天皇へ譲位(28歳)
正暦元年(990年) 皇后となる(34歳)
正暦2年(991年) 円融天皇に先立たれる(35歳)
長徳3年(997年) 出家する(41歳)
長保2年(1000年) 皇太后となる(44歳)
長和元年(1012年) 太皇太后となる(56歳)
寛仁元年(1017年) 6月1日 崩御される(61歳)
以上、藤原遵子の生涯について駆け足で紹介してきました。先に挑発した公任が悪いとは言え、思わぬとばっちりでしたね。
円融天皇の譲位後は四条第で暮らしたことから四条宮などと呼ばれたそうです。
また、公任の娘を養女に迎えて穏やかな余生を暮らしたとも伝わります。
墓所は京都府宇治市に御陵があり、静かに京の人々を見守っていることでしょう。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、どんな女性に描き上げられるのか、中村静香の演技に注目ですね!
※参考文献:
- 佐藤球 校註『大鏡』国立国会図書館デジタルコレクション
トップ画像(左):NHK大河ドラマ「光る君へ」公式ホームページより