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これは驚き!江戸時代の貨幣「寛永通宝」はなんと昭和時代まで使われていた

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つい最近まで使われていた

この寛永通宝は、どのような貨幣だったのでしょうか。

寛永通宝の一枚の重量は1匁(3.75グラム)、銭径は8分(2.4センチ)が標準でした。その後は軽量化されたものや縮型のもの、鉄銭なども鋳造されています。

と、ここまで聞くと寛永通宝というのはずいぶん古い貨幣だと思われるかも知れません。しかし驚くべきことに、この通貨、実はつい最近まで実際に使える貨幣として流通していました。

では、最近というと明治時代頃まで? と思うでしょう。そうではなく、なんと戦後まで、寛永通宝は通貨として認められていたのです。

寛永通宝には一文銭と四文銭がありました。そして明治時代に新しい単位である円・銭・厘ができると、一文銅銭が一厘となり、一文鉄銭は16枚で一厘と換算されるようになりました。

そして、1897(明治30)年の貨幣法により、江戸時代に鋳造された貨幣は使用が禁止されました。が、なぜか寛永通宝のうち一文銅銭と四文真鍮銭は禁止される対象から外されてしまったのです。

ただ、実際にはほとんど使われることはなかったようです。使用されていたのはせいぜい明治時代中期頃までだったとか。それも当然のことですね。

寛永通宝が通貨としての価値を完全に失ったのは、戦後の1953(昭和28)年のことでした。金銭の単位が改められ、銭・厘が廃止されたのです。

ここでようやく、寛永通宝は完全に通用停止となりました。

この点を見ていくと、江戸時代というのは実はそんなに古い時代でもない気がしてくるから面白いですね。

参考資料:
新宿区町会連合会
Super源さんの雑学事典
浜島書店

 

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