元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【前編】:2ページ目
フランスへ留学
彼の思想面に多大な影響を与えたのが、1871年からのフランスへの留学です。もともと彼は公家として初めて洋装で参内するなど異彩を放つ存在でしたが、さらなる学識を求めてソルボンヌ大学で学んだのでした。
パリに到着した直後、ちょうどパリ・コミューン(1871年)に際会したとされています。そして大学では法学者アコラスに師事し、第一次世界大戦時にフランス首相となったクレマンソーや社交界の友人たちと交流しました。
さらに、日本から来ていた中江兆民や松田正久との親交も深めています。ここで身に付けた自由主義思想は、その後の彼の政治的立ち位置と切っても切り離せないものとなりました。
当時の西園寺はかなりの遊び人で、フランス人女性からも人気でした。ずいぶんヤンチャな性格だったようで、以下のようなエピソードもあります。
ある時、友人が誤ってパリの店で窓ガラスを割りました。それでボーイが不機嫌そうにしていたところ、西園寺が「弁償すれば文句ないだろう」と尋ねて、ボーイが「そうだ」と答えたので、西園寺は残った窓ガラスをステッキで全部割り、呆れるボーイにガラス代を全部払って立ち去ったのです。