悪名高い「食い逃げ解散」はなぜ行われた?林銑十郎首相の歴史的暴挙の背景:2ページ目
軍人たちの被害者意識
林首相はなぜ「政党の連中に懲罰を与える」という名目で解散総選挙を行い、政党政治家たちに売らなくてもいいケンカをわざわ売ったのか、そのことを知るには、大正時代以降に日本の軍人たちが置かれていた状況を知る必要があります。
大正時代に企業家や財閥の力が増したことで、政府は彼らの望む政策を優先するようになり、軍人は置き去りにされました。
また、国民にとっても軍人は憎むべき対象になっていました。日露戦争で、戦費を賄うために大幅な増税が行われていたのですが、これは終戦後には引下げられるはずでした。しかしロシアから賠償金が取れなかったため、庶民の生活は苦しいままだったのです。
よって国民は、政府の税金の使い道について非常に過敏になっていました。それで、「軍人は税金泥棒だ」という考え方が国内に蔓延したのです。軍服を着て電車に乗ると「税金泥棒」と罵られ、若い軍人たちは結婚もできない、そんな状況でした。
もともと当時の軍人たちは上昇志向が強く、「日清・日露の戦争に勝てば軍人の地位が高くなり社会的地位が上昇する」という夢をもった明治時代の若者たちが、昭和の陸軍を牽引するという構図になっていました。
しかし、それが企業家・財閥優先の政策と、国民からの悪感情によって裏切られる形になり、軍人たちは強い被害者意識を持っていたのです。
では、悪いのは誰なのか? 軍人たちから見れば、軍の重要性が理解できずに政策を行う政治家たちが最も悪い、ということになります。
こうして、軍人政治家は政党政治家を憎悪するようになります。「食い逃げ解散」はこうした恨みの産物で、林銑十郎は首相という立場からこの恨みを晴らそうとしたのでしょう。
このような歴史的背景を見ていくと、実は満州事変も二・二六事件も、全ては軍人が自分たちの「活躍の場」「地位向上」「生活環境の改善」を求めて動いたものだと分かります。
実は食い逃げ解散は、昭和のいわゆる「軍の暴走」のひとつの形だったと言えるでしょう。