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日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【中編】

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【中編】:3ページ目

第三次内閣の放棄

その後、対米交渉を進めるために一度総辞職し、1941(昭和16)年7月18日、対米強硬論者だった松岡洋右だけを交代した第三次内閣を発足させました。当時のルールでは意見の合わない大臣をクビにすることはできないので、閣内での意見の不一致が解消されなければ総辞職しか道はなかったのです。

ところが、今度は日本軍が南部仏印(フランス領インドシナ)に進駐したことでアメリカの怒りを買います。対日石油輸出の全面ストップ、在米日本資産の凍結などの措置がとられ、政局は取り返しのつかない事態になりました。

それでも近衛は、まだアメリカと中国との話し合いを模索していました。ところがここで、「内閣総辞職か開戦か」の二択を迫ってきたのが陸相・東條英機です。

この方針を決定した当時の近衛は、もはやどうすればいいか分からず迷走状態だったようです。10月16日にはついに内閣府一致を理由に内閣を投げ出してしまいました。彼は総辞職の直前、「政界を引退して僧侶になりたい」と漏らしていたそうです。

続きは【後編】で見ていきましょう。

参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年
倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』2017年、宝島社
倉山満『学校では教えられない歴史講義 満州事変』2018年、KKベストセラーズ
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』2016年、SB新書

 

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