知ってる?瀬名と家康に仕えた超マイナー武士・竹尾元成とその一族【どうする家康】:3ページ目
竹尾家の子孫たち
●元孝 初元次 佐五左衛門 母は某氏。
某年大番に列し、後采地四百石をたまふ。寛文十一年死す。●某 傳左衛門
某年大番となり、寛文九年閏十月十八日としごろの精勤を賞せられて黄金五枚をたまふ。十一年七月八日遺跡を継、延宝元年四月三日狂気して自殺せるにより家たゆ。※『寛政重脩諸家譜』巻第三百九十一 清和源氏(支流)竹尾
【竹尾氏略系図】
……三郎右衛門-元成-清正-元孝-傳左衛門(断絶)
その後、竹尾家は代々大番を務め、清正の孫まで続きました。
しかし孫の竹尾傳左衛門(でんざゑもん)が延宝4年(1676年)4月3日に発狂・自殺してしまいます。
子供がおらず、また跡取りの養子も確保できなかったため、家は断絶(無嗣断絶)してしまったのです。
ちなみに今回は本家だけしか紹介していませんが、分家の者たちは後世へ血脈を受け継いでいます。
画面の片隅で駆けずり這いずりしているエキストラたちにもそれぞれ人生がある。そんな視点で見てみると、大河ドラマもより深く味わえるのではないでしょうか。
※参考文献:
- 『寛政重脩諸家譜 第三輯』国立国会図書館デジタルコレクション