江戸時代の指名手配は「人相書」で!手配写真の始まりなど知られざる被疑者捜索の歴史:2ページ目
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司法制度を整えた江藤新平の逮捕のきっかけは……
明治維新に特に優れた尽力者である「維新十傑」のひとり、江藤新平。彼は裁判所や検察の設置など、近代日本の司法制度を整えた人物です。
さまざまな近代化を行いましたが、そのなかでも江戸時代に用いられていた「人相書」を「手配写真」に変更したことでした。逃亡してもすぐに捕まえられるよう、あらかじめ写真を撮っておくというものでしたが、これが彼に皮肉な結果を生みました。
というのも、江藤は征韓論をめぐり政府と対立し、地元佐賀に下野します。そこで不平士族たちに押し切られ、1874(明治7)年「佐賀の乱」に発展。すぐに江藤らは敗れてしまいます。
その後逃亡を図りましたが、皮肉にも彼が整備した「手配写真制度」によって逮捕されたのです。
日本で「手配写真」を普及させた江藤新平は、皮肉にも手配写真の制度によって逮捕
交番の貼りだしなどでよく見かける容疑者の手配写真。この制度を日本で最初に始めたのは、明治維新の功労者でもある「江藤新平(えとうしんぺい)」でした。[caption id="attachment…武士の身分を剥奪、首級を晒され…明治時代、日本の法律整備を急いだ江藤新平の最期
激動の幕末維新を乗り越えて時は明治。西欧列強に肩を並べるべく近代化を推し進めていた日本にとって、きちんとした?ルールの整備はすべての基本となるものでした。明治新政府で司法制度の整備を担当した元…
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
画像出典:沖縄県警察ホームページより
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