凄いぞ大阪!織田信長・豊臣秀吉ら時の権力者が欲しがった交通の要衝。大阪の歴史的意義【前編(古代~中世)】:3ページ目
渡邊津を中心に熊野詣の起点として繁栄した「平安時代」
平安時代になると大阪は、交通の要衝の面に加え、信仰の場として繁栄します。現在の天満橋から北浜の南岸に、ヤマト国家の難波津を継承した渡邊津がありました。渡邊津の名前は、嵯峨源氏の末裔で、酒呑童子退治で知られる渡邊綱の子孫・渡邊党が支配したことによります。
渡邊津は、当時盛況を極めた熊野詣の起点になります。また、聖徳太子建立の四天王寺も浄土信仰と結びつき、多くの参拝者で賑わいました。天皇・上皇・貴族をはじめとする人々は、平安京から鴨川・淀川を下り、渡邊津から上陸。四天王寺、住吉大社を経て熊野へと旅立っていったのです。多くの人々が往来するようになった大阪は、街道の整備も進み、近世へと受け継がれていきました。
【前半】はここまで。後半では、戦国時代から江戸時代までの大阪の歴史的意義についてお話ししましょう。