男女の愛憎に満ち満ちた豊臣政権!豊臣秀頼の実父は日本史上屈指のあの美青年なのか?
美青年の逸話
歴史上屈指の美青年とされる人物で、名古屋山三郎というのがいます。
彼は安土桃山時代の武将で、蒲生氏と森氏に仕えていました。また母親は織田信長の縁者である養雲院だったといわれています。
彼はとにかく若い頃から美少年として有名で、成長してからも著名な伊達者として名を馳せており、流行歌にまで歌われるほどでした。
彼について残る逸話はいくつかありますが、妻はかの出雲阿国だという話まで存在しています。これは内容的にちょっと眉唾ですが、とにかくそうした伝説が残るほどの有名人だったということでしょう。
また、もうひとつの逸話として、彼は豊臣秀吉の側室である淀君と密通しており、実は豊臣秀頼の実父だったのではないかというのもあります。
ただ、歴史学者の磯田道史によると、実際には山三郎と恋に落ちたのは淀君ではなく、秀吉の側室である京極竜子(西丸殿・松丸殿などと呼ばれることも)だそうです。
京極竜子は、最初は武田元明の正室でしたが、寡婦となってから豊臣秀吉の側室となった人物です。彼女はかなりの美女だったため、秀吉からはほとんど慰み者に近い扱いを受けていたとも伝えられています。