操られた明智光秀!?「本能寺の変」の窮地を切り抜けた細川家との関係【前編】:2ページ目
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強みを活かす
もっとも、光秀と細川家が断絶したわけではありません。むしろ光秀は、もともと細川家から遣わされたエージェントとしての役割ときちんと果たしていきます。
光秀一族は見た目もよく、フロイスの『日本史』では、彼の子女は欧州の王族のようだと評されており、光秀自身も美男子だったと思われます。同時に、彼には周囲にいいところの出身だと思い込ませるほどの風格も備わっていました。
さらに頭がよく、自分を信用させるテクニックも持ち合わせているのですから、細川藤孝がエージェントとして彼を送り込んだのも納得がいきます。
なにせ光秀は、友人たちに、他人を欺くための七十二の方法を会得したと吹聴していたというのです。彼はこうした自分の強みを活かして、うまく出世していったのです。
彼が現代のビジネスマンだったら、きっと「カリスマ〇〇」のような存在になっていたことでしょう。
彼が信長のもとに送り込まれた結果、どうなったかはご存知の通りです。信長は京都から三好三人衆を追い出し、足利義昭は室町幕府の15代将軍になりました。あわせて、藤孝も領主として返り咲くことに成功しています。
しかし、この明智光秀との関わりが原因となって、本能寺の変が起きた直後には細川家は窮地に立たされることになります。これについては【後編】で解説します。
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