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滅亡はやっぱり豊臣氏のミスだった?あの方広寺鐘銘事件の最新の解釈は

滅亡はやっぱり豊臣氏のミスだった?あの方広寺鐘銘事件の最新の解釈は:2ページ目

ミスによる滅亡

こうして、この事件がきっかけで徳川・豊臣は完全に決裂し、1614~1615年の大坂冬の陣・夏の陣による豊臣家の滅亡へとつながっていったのはご存知の通りです。

一応、冬の陣と夏の陣の間では一度講和が結ばれているものの、全体の流れを見ていくと徳川家と豊臣家の衝突は避けられないものだったように感じられます。

方広寺鐘銘事件も、家康が難癖をつけたかのように見られがちですが、徳川・豊臣の間に確執があった中でああした銘文を刻むのは不自然ですし、悪意があると見なされるのは当然です。

実際、最近の歴史研究では、この梵鐘の銘文については明らかに豊臣方のミスだというのが定説です。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022

 

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