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その数10人超え!!三方ヶ原の戦いで討ち死にした徳川軍武将たちを紹介【どうする家康】

その数10人超え!!三方ヶ原の戦いで討ち死にした徳川軍武将たちを紹介【どうする家康】

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2023/05/05

殿として最後まで戦った本多忠真

本多忠真(演:波岡一喜さん)は本多忠勝の叔父として知られ、幼少期に父を失った忠勝に読み書きから武士の心得などを教えました。忠勝の初陣後は補佐役として、窮地に陥った忠勝を救う活躍をみせました。

そんな忠真は、三方ヶ原の戦いで徳川軍撤退時に殿(しんがり:囮役)を引き受けます

旗を左右に突き刺し、「ここから後ろへは退かぬ」と言った後、武田軍と戦闘。武田軍を引き付けるも、ついには討ち死にしました。

馬場信春の突撃を防ごうと戦った成瀬正義

成瀬正義(なるせ-まさよし)は使番・旗奉行として家康に仕えました。しかし、永禄5年(1562)に同僚を斬りつけたことで出奔。

翌年の三河一向一揆で帰参を許され、その後は織田氏の援軍としての六角氏の箕作城攻めや姉川の戦いに参加し、戦功を挙げました。

そんな正義は三方ヶ原の戦いで徳川本陣の守りについていました。しかし、馬場信春が突撃を決行することを知ると、成瀬家のことの弟・成瀬正一に託し、戦いに臨みます。

正義は家康の身代わりとなり、討ち死にしました。ちなみに、正義が討ち死にした場所は成瀬谷として知られています。

また、正義と共に討ち死にすることを約束した鳥居信元も、敵中に入った末に討ち死にしました。

3ページ目 土屋昌続と一騎打ちをした鳥居忠広

 

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