江戸時代、日本にやってきたゾウは天皇に謁見するため位まで与えられていた:2ページ目
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謁見の日と定められた5月27日、浜御殿を出発した象は、見物人に見送られながら、江戸城に入り、吉宗に謁見しました。その席には、老中をはじめ、在府の諸大名が列し、吉宗は得意げの様子だったとか。
その後は、浜御殿で飼育されていたものの、2,3度見ただけで将軍にあきられてしまったようです。しかも、ゾウは大食らいで経費がかさんだ上、火事の多かった江戸の災害時などを想定した治安上の理由から、1741(寛保元)年4月、浜御殿を追い出されてしまいました。
ゾウを引き取ったのは、中野村(現在の東京都中野区)に住んでいた百姓源助と柏木村の弥兵衛でした。ゾウを引き取ることとなった源助は中野の成願寺のそばに象厩(きさや)を建てて飼育したそうです。
ところが、住み慣れた浜御殿を追い出されて、環境の変化に戸惑ったのでしょう。中野村では1742(寛保2)年に、繋綱を引きちぎって小屋を押し破るということもありました。そして、同年の12月13日、残念ながら息絶えてしまったそうです。21歳でした。
亡くなった象の遺骸は、解体されて骨と皮に分けられ、皮は幕府へ献上され、骨や牙は源助へ与えられたようです。源助の死後、ゾウの頭骨と二本の牙は、中野の真言宗豊山派寺院の宝仙寺に納められたそうですが、1945(昭和20)年5月25日のこと、太平洋戦争中の空襲によって、寺は全焼、跡地からは炭化した牙の一部が見つかったそうです。現在は非公開として扱われているようです。
参考
- 杉本苑子 『ああ三百七十里』(1992 東京文芸社)
- にしむら しのぶ 『長崎から江戸まで歩いたゾウさん』2022
- 「長い長いゾウの話」(上)江戸の人気者 中野に眠る」『東京新聞』2022年9月8日付朝刊
- 「長い長いゾウの話」(下)牙のかけら 高知にあった」『東京新聞』朝刊2022年9月9日付朝
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