「男色」は武士のたしなみ!?徳川家康が寵愛した美少年・井伊直政との絆【前編】:2ページ目
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家康と直政の出会いは鷹狩り
ある日、家康が鷹狩りに出かけたとき井伊直政が突然跪いて、家康に名乗り出たとのこと。家康は、直政の美しい風貌に思わず見とれたそうです。
直政の出自を聞いて気に入った家康は、井伊家の再興を許可し、小姓として召抱えることにしました。
当時、「衆道」は戦国武士のたしなみとまでいわれ、性愛だけではなく主従が固い契りをかわす目的としても行われていました。一説には、直助の父・直親が家康との内通疑惑で殺されたことを不憫に思い、特別な計らいをしたのではとも伝わります。
しかしながら、家康の直政への寵愛ぶりをみると「容顔美麗」と名高い直政の美少年ぶりに心を奪われた……という見方のほうが強いようです。
戦国時代の話の多くは江戸時代に書かれたものが多く、不確かな部分も多いそうですが、武田氏の戦略・戦術を記した軍学書「甲陽軍鑑」ほか、数々の文献にも「寵童」として仕えていたと残されているという研究者の話もあります。
家康の直政への寵愛ぶりは、【中編】に続きます…
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