妾だけはイヤ!豪商の娘から一転して芸妓になり、渋沢栄一の後妻となった渋沢兼子とは?:2ページ目
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華やかな渋沢の女性関係
渋沢栄一は最初の妻が生きていたころから女性関係は華やかだったといいます。
実は「超」が付くほど女好き?徳川慶喜への経済支援も行った「渋沢栄一」ってどんな人?
2024年上半期に、紙幣が一新されることになりました。その、一新される1万円札に印刷されるのが、今回紹介する「渋沢栄一(しぶさわえいいち)」です。紙幣の、しかも一番高額な1万円札に印刷されるぐらい…
当時の妾のひとり・大内くには兼子が嫁ぐ前に渋沢家を去っていますが、兼子との再婚後も他の女性との関係を持っていました。
先代の妻の子どもで、幼かった渋沢篤二(しぶさわとくじ)は兼子にあまり懐かず、大変だった時期もあるようです。
先代の子どもとともに、兼子は栄一とのあいだに9人の子どもをもうけ、育てます。そのうち4人が成人しました。
渋沢栄一の子どもたちはさまざまな分野で活躍しましたが、兼子とのあいだに生まれた子のひとり・渋沢武之助は石川島飛行機製作所の2代目社長になり、隼戦闘機など、陸軍の航空機を製造しました。
ルーズベルト大統領との会見も
兼子は公私ともに夫である渋沢栄一をサポートしました。夫婦でアメリカに渡った際にはルーズベルト大統領と会見したり、夫が団長を務めた「渡米実業団」の一員として同行もしています。
そのほか、鹿鳴館でのバザーといった慈善活動にも積極的に従事。さまざまな分野で活躍したことがわかります。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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