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前代未聞の征夷大将軍襲撃・暗殺事件!「永禄の変」はなぜ起こったか【前編】

前代未聞の征夷大将軍襲撃・暗殺事件!「永禄の変」はなぜ起こったか【前編】:2ページ目

「まとも」な将軍

復帰後の義輝は将軍として孤軍奮闘し、何とかして社会秩序を取り戻しつつ将軍職の権威を回復させようと努めています。

とにかく当時の世の中というのは「めちゃくちゃ」でした。あらゆる名門の大名家が家来によってぐちゃぐちゃになっており、あっちは家督争い、こっちは下剋上、泥沼の陣取り合戦を続ける連中がいるかと思えば関東は北条と上杉によってめちゃくちゃ、という状況だったのです。

しかもそれらの原因を作ったのは足利義政に義教と、歴代の将軍にありました。義輝はこうした事態へ責任感を持って対処していたのです。

そこで彼が行った施策としては、例えば長年争った三好長慶をはじめとする三好一門を厚遇して、対立することなくうまく臣下に組み込んだことが挙げられます。

さらに、武田信玄と上杉謙信の争いのほか、多くの大名家で起きていた争いを調停しました。

彼のこうした将軍らしい振る舞いが功を奏し、1559年には織田信長や斎藤義龍、上杉謙信が上洛し謁見することで権威向上を狙ったりしています。

このように、足利義輝は当時としては極めて稀な「まともで将軍らしい将軍」でした。しかし彼の活躍は長く続きませんでした。【後編】に続く

【後編】の記事はこちらから

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年

 

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