三河一向一揆で活躍見せる!家康を支えた家臣・土屋長吉重治とは?【どうする家康】:2ページ目
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重治の子どもたちのその後は?
重治の死後、子たちの重信や重利、重成は変わらず徳川家に仕えました。しかし、重信は26歳の時に元亀元年(1570)の姉川の戦いで戦死。
続く重利は、天正8年(1580)の小山城攻めにおいて25歳で戦死し、重成は48歳で病死するという家族そろって若死にを遂げています。
重治の活躍に目が離せない!
家康への忠義よりも信仰を重視した家臣がいる中で、徳川実紀に見られる活躍をした土屋重治は忠臣と言っても過言ではないですね。
三河一向一揆で命を落とすことがなければ、重治は徳川家にさらなる貢献をしたのではいかと思うと、残念でなりません。
信仰よりも主君を選ぶことを考えると、重治には相当の葛藤があったことがうかがえます。まさに信仰よりも守るべきものが家康だったのは、家康もさぞ喜ばしかったことでしょう。
どうする家康では、重治の死はどのように描かれるのか楽しみでもあり、悲しみもありますね。
※参考文献
『寛政重修諸家譜』国立国会図書館デジタルコレクション
『徳川実紀』国立国会図書館デジタルコレクション
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