二人三脚体制から確執へ……兄・足利尊氏との対立で散った武将・足利直義とは?
みなさんは、足利直義(あしかがただよし)という人物の名前を聞いたことがあるでしょうか?彼の同母兄には、室町幕府初代将軍の足利尊氏(あしかがたかうじ)がいます。
対照的な二人とされることが多いですが、実は二人三脚で協力していた時期がありました。しかし、最終的には確執により、弟の足利直義は悲運の最期を迎えます。
今回の記事では、そんな足利直義に迫ってみたいと思います。
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足利直義とは?
足利直義は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて活躍した人物です。鎌倉幕府の有力御家人であった足利貞氏の三男として徳治元年(1306年)に生まれました。
1歳上の兄・足利尊氏(このころは「高氏」。この記事では、わかりやすさの観点から「尊氏」表記としています)とは同腹であり、仲も良かったと言われています。
兄の足利尊氏と協力して鎌倉幕府を倒す
別腹長男である高義の早世により尊氏が嫡男となり家督を継いだころ、各地では騒乱が相次いでいました。それに対して大した策のとれない鎌倉幕府の威信は下がるばかりでした。
尊氏に従い北条氏から離反すると、足利直義は兄や後醍醐天皇とともに鎌倉幕府を滅ぼします。
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