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戦国大名・徳川家康が旗印に用いたスローガン「厭離穢土欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」とは?【どうする家康】

戦国大名・徳川家康が旗印に用いたスローガン「厭離穢土欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」とは?【どうする家康】

登誉天室(登誉上人)が贈った言葉

時は永禄3年(1560年)、桶狭間の合戦で主君・今川義元(いまがわ よしもと)を喪った家康は将来を絶望。

もはやこれまでと菩提寺の三河国大樹寺(愛知県岡崎市)へ駆け込み、先祖代々の墓前で自刃を図りました。

それを引き止めたのが住職の登誉天室(とうよ てんしつ)。

「厭離穢土欣求浄土という教えがありますが、これは穢土から浄土へ逃げ込めと言っているのではなく、今いる穢土を浄土に変えるべく闘えと言うことです」

つまり穢土を厭うて自ら離れる(世を去る)のではなく、土の穢れを祓い清めるべしという不動の姿勢を説いたものです。

誰もが欲望のために戦争を繰り広げた結果、世は乱れ日本国土が穢れきっている。それを終わらせるためにこそ、勇気を出して生き抜き闘うのだ……そんな登誉天室の言葉に奮い立った家康は、以来「厭離穢土欣求浄土」の言葉を旗印に立てて数々の戦いに身を投じたのでした。

……というのは山岡荘八の歴史小説『徳川家康』や、それを元にしたNHK大河ドラマ「徳川家康(昭和58・1983年)」などによって広く知られています。

家康伝説を彩るカッコいいエピソードながらその出典については未詳、恐らく創作でしょう。では、実際のところはどうなのでしょうか。

……前将軍家に御吉例の御旗あり、白布に、墨を以て厭離穢土欣求浄土と書きたり、これは三州浄土宗大樹寺の和尚登誉上人の筆なり、御筥に入れられ、御側に置かせ給ふ……

※『難波戦記』「御旗本合戦附扇子の御指物の事」より

永禄6年(1563年)から同7年(1564年)にかけて勃発した三河一向一揆の鎮圧に臨んで、登誉天室が家康のため白旗に墨書。門徒らに掲げさせて勝利を収めたと言います。

以来、これを吉例として「厭離穢土欣求浄土」を大書した旗印を陣頭に押し立て、強敵たちと渡り合ったのでした。

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