尼将軍・北条政子の最期。嘉禄元年7月11日を『吾妻鏡』はこう書いた【鎌倉殿の13人 後伝】

伊豆の片田舎で嫁き遅れていたじゃじゃ馬娘が、気づけば鎌倉殿の尼御台として、天下の御家人たちに君臨していた。

そんな空前絶後の活躍を果たした北条政子(ほうじょう まさこ)。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、小池栄子さんの眼力あふれる演技が輝いていましたね。

【最終回】「鎌倉殿の13人」義時たちに待ち受ける、それぞれの結末。第48回放送「報いの時」振り返り

北条義時(演:小栗旬)にトドメを刺したのは、まさかの姉・政子(演:小池栄子)。幼き先帝(仲恭天皇)にまで手にかけようとする弟を止めるため、薬を捨てたのでした。「駄目よ。嘘つきは、自分のついた嘘…

さて。伝説の名演説によって後鳥羽上皇(演:尾上松也)との決戦を主導し、承久の乱を勝利に導いた彼女は、弟である執権・北条義時(演:小栗旬)の死後もしばらく生きます。

今回は、大河ドラマでは描き切れない北条政子の最期を紹介。鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』をひもといていきましょう。

政子・最後の半年間をたどる

北条政子が世を去ったのは嘉禄元年(1225年。元仁2年より改元)7月11日。義時が世を去った翌年のこと。当年の1月から記録をたどります。

1月14日……政子が鶴岡八幡宮で国家鎮護のため仏事(最勝八講)を始める。以後毎月の恒例に。

5月1日……疫病が流行ったため、政子が御家人たちに相談の上で般若心経の写経を命じる。

5月3日……御所内にある政子の邸宅を板塀で区切る(療養のため、騒音対策か)。

5月29日……政子が体調不良。

6月2日……政子の快癒を願い、北条泰時(演:坂口健太郎)が祈祷を始める。

6月3日……祈祷の甲斐あってか、政子の体調が少し回復。

6月5日……しかし泰時は油断せず、祈祷を続けさせる。

6月7日……政子の体調が悪化。

6月8日……政子はまだ動ける内に、生前から死後の冥福を祈る仏事(御逆修)を行なう。

6月10日……大江広元(演:栗原英雄)没。享年78歳。

6月12日……泰時が政子の快癒祈願で三万六千神の祭礼を行なう。

6月13日……義時の一周忌。

6月15日……政子、縁起を担いで新築の御所へ移転を希望。

6月16日……政子、意識不明に。すぐ意識戻る。政子の移転について、陰陽師らが議論。21日に。

6月21日……政子の移転予定日だが、陰陽師・医師らで意見が対立。夜になって政子が意識不明に。結局26日に延期。

6月26日……記述なし。ただし政子の病状が思わしくないからか、移転は再延期になった模様。

7月6日……政子を治療するため、侍医の和気定基(わけ さだもと)が往診。それまで主治医であった丹波頼経(たんば よりつね)が匙を投げたためとのこと。

7月8日……政子が危篤。縁起を担いで東の御所へ移動。

そして7月11日。政子が69歳の生涯に幕を下ろしたのでした。しかし危篤状態にありながら引越しって……現代人の感覚で言えば「正気か!?」と思ってしまいますが、それだけ縁起を担ぐのは生死を左右しかねない大問題だったのでしょうね。

3ページ目 稀代の悪女か?それとも鎌倉の救世主か

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了