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日本が近代国家へと変貌を遂げた第一歩「大政奉還」がなされた背景とは!?【幕末をわかりやすく】

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わかりにくい幕末をわかりやすく解説。前回の「ペリーの浦賀来航」についての記事はこちらからどうぞ。

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1867年10月、最後の15代将軍となった徳川慶喜は、土佐藩から提案された「大政奉還」を行うことに決めました。

その前年、薩摩藩と長州藩が、それぞれ倒幕に傾き、坂本竜馬の仲介によって「薩長同盟」が成立していました。「薩長同盟」は、正式には「薩長連合密約六ヶ条」といい、その名の通り六つの条文からなっている密約でした。

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そこには、長州征伐が始まった場合の薩摩藩の行動や薩摩藩が朝廷に対して行うべきことを規定していました。

「薩長同盟」締結の後、第二次長州討伐が決行されますが、幕府軍は長州藩に打ち破られます。その途中で、14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)が死亡。次第に、幕府にとって状況が悪くなりつつありました。

幕府は、「大政奉還」を行うことにより、尊皇攘夷派の不満をそらし、倒幕派に対して先手を打とうとしたのでした。

2ページ目 王政復古の大号令 〜 江戸城の無血開城

 

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