日本が近代国家へと変貌を遂げた第一歩「大政奉還」がなされた背景とは!?【幕末をわかりやすく】
わかりにくい幕末をわかりやすく解説。前回の「ペリーの浦賀来航」についての記事はこちらからどうぞ。
尊皇攘夷運動が加速!江戸幕府を揺るがせたペリーの浦賀来航とはどういったものだったのか?【幕末をわかりやすく】
江戸時代、江戸幕府を揺るがせたペリーの浦賀来航とはどういったものだったのでしょうか。※関連記事:[insert_post id=212212]ペリーの浦賀来航に先立つ1739年、ロシア…
1867年10月、最後の15代将軍となった徳川慶喜は、土佐藩から提案された「大政奉還」を行うことに決めました。
その前年、薩摩藩と長州藩が、それぞれ倒幕に傾き、坂本竜馬の仲介によって「薩長同盟」が成立していました。「薩長同盟」は、正式には「薩長連合密約六ヶ条」といい、その名の通り六つの条文からなっている密約でした。
薩長同盟、実は「倒幕はしない」同盟だった!?真の目的と本当の敵は誰だったのか?
「倒幕はしない」同盟だった?幕末の歴史物語の名シーンとして語り継がれているのが、薩長同盟が結ばれたシーンです。薩長同盟とは、それまで犬猿の仲だった長州藩と薩摩藩が、いがみ合っていた過去を水…
そこには、長州征伐が始まった場合の薩摩藩の行動や薩摩藩が朝廷に対して行うべきことを規定していました。
「薩長同盟」締結の後、第二次長州討伐が決行されますが、幕府軍は長州藩に打ち破られます。その途中で、14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)が死亡。次第に、幕府にとって状況が悪くなりつつありました。
幕府は、「大政奉還」を行うことにより、尊皇攘夷派の不満をそらし、倒幕派に対して先手を打とうとしたのでした。
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