沖田総司の愛刀「菊一文字」は実在しない?伝説に彩られた剣士の真実:2ページ目
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沖田が実際に使っていたのは…
では、沖田総司イコール菊一文字という伝説はどこで生まれたのかというと、これは昭和初期の小説家である子母澤寛の創作だとされています。さらに、その影響を受けた司馬遼太郎による『燃えよ剣』『新撰組血風録』によって、ますます伝説は真実味をもって流布しました。
そもそも、備前一文字則宗による刀「則宗」は、室町時代から既に実用品ではなく贈答品として扱われており、江戸時代も大名たちの間でごく稀に贈答に使われる以外は流通することはありませんでした。当時から国宝級の日本刀だったと言ってもいいでしょう。
よって、菊一文字は幻の刀だとしても、それに匹敵するものを沖田総司が所持していた上に、血みどろの実戦で使用していたというのは、ちょっと考えられない話です。
では、実際に彼が使った刀は何だったのかというと、これは修理に出した時の記録から「加州清光(非人清光)」だったことが分かっています。かの池田屋事件の戦闘でも使われており、沖田は刀が破損するほど、伝説の三段突きを多用したと言われています。
他にも「大和守安定」(加州清光とともに、名刀中の名刀)を使っていたという話も存在します。
ただ、加州清光も大和守安定もやはり現存しておらず、とにかく沖田総司という人物は何から何まで伝説的というか、もはや沖田本人が「幻の剣士」とすら言えるかも知れません。
参考資料
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