「鎌倉殿の13人」刻々と近づく1月27日。『吾妻鏡』をたどり、第44回放送「審判の日」を予習:2ページ目
義時の夢枕に立ったのは
さて、このころ義時は夢のお告げによって大倉に薬師如来を祀る新御堂を建立。これが現代の覚園寺(かくおんじ)となります。
晴。右京兆依靈夢所令草創給之大倉新御堂被安置藥師如來像〔雲慶奉造之〕。今日被遂供養。導師莊嚴房律師行勇。咒願圓如房阿闍梨遍曜。堂達頓覺房良喜〔若宮供僧〕也。施主并室家等坐簾中。相州。式部大夫。陸奥次郎朝時被坐正面廣廂。信濃守行光。大夫判官行村。大夫判官景廉已下御家人爲結縁群參。源筑後前司頼時。美作左近大夫朝親。三條左近藏人親實。伊賀左近藏人仲能。安藝權守範高等爲布施取。各參候于堂南假屋。戌剋事終。導師已下被引御布施。
※『吾妻鏡』建保6年(1218年)12月2日条
【意訳】晴れ。義時は運慶(演:相島一之)に造らせた薬師如来像を大倉新御堂(現:覚園寺)に安置。供養を行なった。
導師:荘厳房律師退耕行勇(しょうごんぼうりっし たいこうぎょうゆう)
呪願:円如房阿闍梨遍曜(えんにょぼうあじゃり へんよう)
堂達:頓覚房良喜(とんかくぼう りょうき)施主の義時とその妻は御簾の中に着席、北条時房(相州)・北条泰時(式部大夫)・北条朝時(陸奥次郎)は正面の濡れ縁に着席。
ほか二階堂行光(にかいどう ゆきみつ。二階堂行政の子)・二階堂行村(ゆきむら。同じく)・加藤景廉(かとう かげかど)らが結縁に集まる。
また源頼時(みなもとの よりとき)・美作朝親(みまさか ともちか)・三条親実(さんじょう ちかざね)・伊賀仲能(いが なかよし)・安芸範高(あき のりたか)らがお布施を渡す役目を務め、戌の刻(午後8:00ごろ)につつがなく終了した。
夢のお告げとは7月9日、薬師如来を守る戌神(いぬがみ。跋折羅大将)が義時の夢枕に立ってこう言ったそうです。
「今年の参拝は無事だったが、来年の参拝にはお供すべきではない(今年の拝賀は無事。明年の拝賀の日、供奉せしめ給うなかれ)」
かねて薬師如来を信仰してきた義時は、このことに思い立って薬師堂の建立を命じました。すると時房と泰時が反対します。
「何かと物入りなところへ、更に民の負担を増すのはよろしくありません」
しかし義時はこれを強行。私的なことであるから当然自腹だ文句あるかの精神ですね。
ちなみに薬師如来の別名は医王善逝(いおうぜんせい)。医王と言えば、前に実朝が前世で修行していたという宋の医王山(いおうざん)を思い出します。
実朝が薬師如来で義時がその守護神……何か関係があるのでしょうか。あるかも知れませんね。