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江戸時代の大名を束縛した「武家諸法度」とは?その内容と効果を改めて確認

江戸時代の大名を束縛した「武家諸法度」とは?その内容と効果を改めて確認

文治政治と秩序維持

当時は、領主が討たれたら家族や家臣もそれを追って死ぬ「殉死」が当たり前のように行われていました。しかしそれでは有能な人材をいたずらに失うことになるため、禁止されたのです。

また、幕府は島原の乱のような大きな反乱をこれ以上起こさないように、武力で抑える政治から学問で治める文治政治を目指すようになっていきました。

そのため、五代将軍・綱吉の頃には、大名家でも末期養子が認められるようになりました。これによって後継のいない大名が死の直前に養子をとれるようになり、家の取り潰しを回避できるようになりました。

大名家が取り潰されると浪人が増加し、町の犯罪が増えます。それを防ぐ狙いがあったと言われています。

理不尽なルールも存在した武家諸法度ですが、時代と共に見直しも行われました。260年もの長い間江戸幕府が続いた理由のひとつには、武家諸法度の存在があったのかもしれません。

参考資料
刀剣ワールド
はぐくむ

 

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