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江戸時代の大名を束縛した「武家諸法度」とは?その内容と効果を改めて確認

江戸時代の大名を束縛した「武家諸法度」とは?その内容と効果を改めて確認

力を削がれる大名たち

もっとも有名なのは、三代将軍・家光が発布した「寛永令」で明文化された参勤交代です。

妻子はお江戸で人質に!?江戸時代の「参勤交代」って実際はどんなものだったの?

筆者は最近、諸事情につき実家のある横浜と東京都内で、週の半分ずつ生活をしています。まるで江戸時代の「参勤交代」のようだなと感じる今日この頃ですが、筆者の場合は仕事の都合・結婚などによりこのような生活ス…

参勤交代は地方の大名を一年おきに江戸に出仕させる制度で、移動や江戸滞在にかかる費用はすべて各藩が賄わなければなりませんでした。こうして金銭的に大きな負担を負わせることで、諸藩の経済力を削ろうとしたのです。

また、大名の正室や嫡子は江戸の屋敷に住むことになりました。これは人質のようなものだったと言われています。

他にも、婚姻の際には幕府の許可が必要になりましたし、城や船を新しく造るのは禁止。また、城の修繕にも逐一届け出が必要になりました。

これらに違反すると領地を没収される「減封」や領地を違う場所に移される「転封」、武士の身分を剥奪され取り潰される「改易」などの罰則を受けることになります。

多くの大名は幕府に従いましたが、中には言いがかりや濡れ衣に近い形でこれらの処罰された大名もいました。福島正則はその好例と言えるでしょう。

このように、武家諸法度によって大名たちは強く束縛されることになりました。ただ、それらのルールの中には社会のために有益なものもありました。

例えば、四代将軍・家綱が制定した「寛文令」では「殉死」が禁じられています。これはどういうことでしょうか。

3ページ目 文治政治と秩序維持

 

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