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負け続きにして不死身!?戦国武将・日根野弘就の人生と壮絶な最期

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伝説の最期

さて、関ケ原の戦いです。弘就は東軍・西軍のどちらにも付かずに静観していたとも言われていますが、一説によると西軍に内通していたと言われています。

どうしてこうも負ける側に就くのがうまいのかと逆に感心しますが、内通していたことが戦後にばれそうになり、彼は改易を防ぐために証拠書類を隠滅して、自宅の庭で切腹を試みました。

ここからが真偽の怪しい「伝説」です。彼は切腹した後で、まだ処分していない書類の存在を思い出し、改めて整理しました。しかもその後も丸一日生存し、切腹した翌日の夜に苦しみ出してようやく最期を遂げたと言われています。

これは証拠となる史料がないので俗説の域を出ませんが、例えば力道山や浜口雄幸など、腹部を傷つけられても亡くなるまで時間がかかったという事例はあります。よって、絶対にありえないとは言えないでしょう。

享年85歳。負け続きの日根野一族は、弘就の切腹にもかかわらずその後減封処分され、さらに後継者問題が発生して後年には無嗣改易・断絶となりました。ただ、一族そのものは旗本としてその後も継続しました。

参考資料
武将辞典

 

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