「鎌倉殿の13人」葛藤する源実朝、深まる北条義時との対立…第39回放送「穏やかな一日」予習:2ページ目
義時、自分の取り巻きに準御家人待遇を要求
相州年來郎從〔皆伊豆國住民也。号之主達〕之中。以有功之者。可准侍之旨。可被仰下之由。被望申之。内々有其沙汰。無御許容。於被聽其事者。如然之輩。及子孫之時。定忘以往由緒。誤企幕府參昇歟。可招後難之因縁也。永不可有御免之趣。嚴密被仰出云々。
※『吾妻鏡』承元3年(1209年)11月14日条
さて、これまで次々と政敵を滅ぼし、ついには父・北条時政をも追放。兄との約束(第5回放送)を果たして「坂東武者のてっぺん」に立った北条義時は、実朝にこんなことを願い出ます。
「我が下で永年仕えて功績のある郎従らに、侍(さむらい。御家人)に準ずる待遇を与えて欲しい」
彼らは義時の地元・伊豆国から連れてきた者たちで、主達(おもだち)と呼ばれていました。北条の取り巻きとして既に特別扱いされてきた彼らの立場に、鎌倉殿のお墨付きをつけようと言うのです。しかし、これを実朝は却下。
「それを許せば身分(御家人と非御家人)のけじめが曖昧になり、やがては幕政に紛れ込んでくることになるだろう。つまらぬトラブルの元になるから、今後も認めない」
【読み下し】そのこと聽(ききい)らるにおいては、しかる如き輩(ともがら)の子孫の時に及び、定めて往(時)の由緒忘るをもって幕府参昇を誤り企てんか。これ後難を招くべき因縁なり。永く御免あるべからざるの趣、厳密に仰せ出ださると云々。
向かうところ敵なしの義時に対して、実朝らしからぬ激しい拒絶。その言葉を口にしてみると、実朝の強い意志を感じられます。
これはきっと、同年5月に和田義盛の願い出た上総国司の推挙を阻んでいる義時への意趣返しでしょう。
和田義盛が源実朝におねだりしたものとは?『吾妻鏡』を読んでみると…【鎌倉殿の13人】
「政治に公平を期すべきだの何だのと言って、和田の推挙を阻んでおるくせに、自分の取り巻きどもは取り立てろと言うのは筋が通らぬ!」
しかし毅然な態度をとってはみたものの、やはり北条氏の権勢にはやがて妥協を強いられていく鎌倉殿。やがて実朝の懸念どおり、北条得宗家の取り巻きが幕政にのさばっていくようになるのでした。
ただし、何とか義盛の願いを叶えてやりたい実朝は「義時がワガママを言い出したのなら……」とばかり、11月27日に義盛をコッソリ呼び出します。
和田左衛門尉義盛上総國司所望事。内々有御計事。暫可奉待左右之由蒙仰。殊抃悦云々。
※『吾妻鏡』承元3年(1209年)11月27日条
「和田よ、上総国司の件はしばし待て。内々に計らっておるゆえ……」
義時の要求を通すなら義盛の願いも通すし、もし義盛の願い通らずば……ということで、義時に対抗するための布石を打つのでした。