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「鎌倉殿の13人」ついに牧氏の変、くすぶる余燼…第38回「時を継ぐ者」予習

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「嫌だね、他を当たってくれ」小山朝政の意外な反応

時は元久2年(1205年)8月7日。北坂東の豪族・宇都宮頼綱に謀叛が発覚。頼綱は時政の娘婿であり、義時らへの報復として鎌倉へ攻め寄せてくるとの噂が立ちました。

「左衛門尉(小山朝政。演:中村敦)を呼べ!」

「……如何用で」

「近ごろ弥三郎(頼綱)が謀叛を企んでおると言う。そこでそなたに鎮圧を命じる」

命令を受けた朝政でしたが、彼はこれを断ります。

「弥三郎とは義兄弟でしてね。せっかくの名誉ながら、骨肉の争いはご免こうむりたいモンです。どうか他を当たって下さい。ただ誤解して欲しくないのは、仮に弥三郎が謀叛を企んでいたとしても、これに加勢はしません。万が一攻め込んできたら、それがしは鎌倉殿を全力でお守りしましょう」

【吾妻鏡】朝政申して云わく「頼綱は叔家の好あり。たとい厳命に応じ、その昵を変ずると言えども、たちまち追討使を奉るは芳情なからんや。早く他人に仰せらるべきか。ただし朝政叛逆に与同せず。防戦においては、筋力を尽くすべき」のよし、これを辞し申す。

※『吾妻鏡』元久2年(1205年)8月7日条より読み下し。

……とは言ったものの、そのまま放っておいたら他の誰かが討伐してしまいかねません。

そこで朝政は頼綱に連絡。「おい、このままだとまずいぞ。俺は断ったが、誰が討伐に行くとも限らぬから、起請文を書け」ということで、頼綱は素直に起請文を義時に献上しました。8月11日のことです。

3ページ目 誠意を見せるため、宇都宮一族60数名が同時に出家

 

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