雷、粟、岩…バリエーション豊富な日本最古のお菓子「おこし」の歴史を辿る【後編】
ダジャレと縁起のよさから生まれた「岩おこし」
前編では、「おこし」の由来と大阪での展開についてお話ししました。
雷、粟、岩…バリエーション豊富な日本最古のお菓子「おこし」の歴史を辿る【前編】
さて、粟おこしと共に関西人にとって懐かしい味である「岩おこし」の方は、お笑いの街である大坂らしく、洒落っ気から誕生しました。
岩おこしは、米を細かく砕いて形を作り、水あめ等で作ったシロップと生姜ゴマなどを混ぜて固めたもの。粟おこしに比べて固く、生姜が混ぜられているため少しピリッとした味付けになっているのが特徴です。
江戸時代中期の大坂では、運河を作るための工事で岩が多く掘り出されていました。その様子と固いおこしをかけて、「大阪の掘り起こし、岩起こし」 という駄洒落にしたことが「岩おこし」の名前の由来とされています。
こちらも大坂の発展を象徴する縁起の良いお菓子として大ヒットしました。
一方、江戸では「雷おこし」が浅草寺参りの土産物として知られるようになります。
雷おこしの誕生は18世紀
雷おこしは原料に米を使っており、砂糖を主体とした、柔らかめな仕上がりの味わいが特徴的なお菓子です。
形状も板状ではなく団子状となっているところが、大坂のおこしとの大きな違いでしょう。
その名称は浅草のシンボルである雷門(もともとは風雷神門)に由来します。寛政7(1795)年頃には『浅草寺誌』の記録に登場しているので、この頃には既に販売されていたと考えられます。
雷おこしは、四万六千日(ほおずき市)の観音様ご開帳の日に売られるようになり、 「家を起こす」「名を起こす」縁起物としてヒット商品となりました。現在は東京を代表する銘菓として知られています。