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鎌倉殿の9月9日…頼朝や義時たちも菊の節句を楽しんでたの?『吾妻鏡』を読んでみました【鎌倉殿の13人】

鎌倉殿の9月9日…頼朝や義時たちも菊の節句を楽しんでたの?『吾妻鏡』を読んでみました【鎌倉殿の13人】

菊の節句も悪くないかも。頼家の気づき

頼朝が亡くなった正治元年(1199年。建久10年)9月9日は大江広元(演:栗原英雄)が代理で奉幣、翌年も頼家は欠席して北条泰時(演:坂口健太郎)が代参しました。

あまり重陽の節句(というより伝統的な年中行事)に興味がなかったようですが、建仁元年(1201年)9月9日、頼家は御所で重陽の節句を祝っています。

……頃之左金吾出御〔烏帽子。直衣〕。其後有勸盃之儀。給御盃於行景。此間被仰云。爲蹴鞠師範。招請之處。適迎重陽日。始遂對面。故猶前庭以籬菊浮盃。永可契万年者。行景跪盃。金吾自取銀釼。令与之給。

※『吾妻鏡』建仁元年(1201年)9月9日条

頼家は蹴鞠の師匠として招いた紀行景(きの ゆきかげ)と酒を酌み交わしました。

「重陽の節句に先生と出会えたのは得難いご縁。前庭に咲く菊の花を盃に浮かべて酌み交わし、末永くお願い申し上げる」

【原文】蹴鞠の師範となして召請するのところ、たまたま重陽の日を迎え、はじめて対面をとぐ。ことさらになお前庭の籬菊(まがきぎく)を盃に浮かべ、永く万年を契るべし。

行景は頼家の歓迎に感謝し、頼家から銀造りの太刀を与えられたのでした。

「まぁ、こうして四季おりおりの節目を祝うのも、悪くはないかも知れんな」

そこで翌建仁2年(1202年)は鶴岡八幡宮の臨時祭に参列したものの、その翌年は急病に昏倒してしまいます。阿野全成(演:新納慎也)を処刑した祟りによるものかも知れません。

9月2日には舅の比企能員(演:佐藤二朗)ら比企一族を滅ぼされ、9月5日には意識を取り戻した頼家。目が覚めた時にはすべてが終わっており、悪あがきもむなしく出家・追放されてしまったのでした。

終わりに

以上、頼朝の挙兵からと頼家の追放まで、9月9日の過ごし方をたどってきました。ちなみに当時の9月9日は陰暦なので、現代の新暦では10月4日に相当します(令和4・2022年)。

♪きれいな花よ きくの花 白や黄色の きくの花
けだかい花よ きくの花 あおぐごもんの きくの花
日本の秋を かざる花 清いかおりの きくの花……♪

※小林愛雄 作詞「きくの花」

菊の花の清い香りは坂東武者らの心をも和らげ、しばしの安息をもたらしたことでしょう。

二節目の「~あおぐごもんの~」とは皇室の御紋を指し、後鳥羽上皇(演:尾上松也)が菊の花を好んで刀に彫らせたことに由来するとか。

果たして頼家の跡を継いだ第3代将軍・源実朝(演:柿澤勇人)は重陽の節句をどのように楽しんだのか、また改めて紹介したく思います。

※参考文献:

  • 神崎宣武『「まつり」の食文化』角川選書、2005年9月1日
  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 3幕府と朝廷』吉川弘文館、2008年6月
  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 7頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月
 

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