鎌倉殿の9月9日…頼朝や義時たちも菊の節句を楽しんでたの?『吾妻鏡』を読んでみました【鎌倉殿の13人】:2ページ目
菊の花を楽しむ頼朝たち
初めて重陽の節句(重陽節)をお祝いする記述が出て来るのは文治2年(1186年)。
迎重陽節。藤判官代邦通献菊花。則移南縣之流。被裁北面之壷。芬芳得境。艶色滿籬。毎秋必可進此花之由。被仰邦通之。又結付一紙於花枝。御披覽之處。載絶句詩云々。
※文治2年(1186年)9月9日条
重陽節を迎えて、流人時代からの家人である藤原邦通(ふじわらの くにみち。藤判官代)が頼朝に菊の花を献上しました。
喜んだ頼朝がさっそく御所の北庭に植えると、辺り一面によい香りがあふれます。
「判官代よ。これから毎年、菊の花を用意しておくれ」
「ははあ」
また菊の枝に文が結びつけてあり、ほどいて見るとそこには絶句の漢詩が詠まれています。
さすがは都の典雅に通じた(若い頃は都の遊び人でした)邦通らしい演出と言えるでしょう。出来れば詠まれた漢詩の内容も書いておいて欲しかったですね。
さて、頼朝が菊の花で喜んだことを知って、乳母の比企尼(ひきのあま)は自分の館に菊を植えさせました。
「これできっと来年は……うふふ」
果たして翌年、比企邸の南庭は美しい白菊の花で覆われます。
比企尼家南庭白菊開敷。於外未有此事。仍今日迎重陽。二品并御臺所渡御彼所。義澄。遠元以下宿老之類候御共。御酒宴及終日。剩献御贈物云々。
※『吾妻鏡』文治3年(1187年)9月9日条
「おぉ、これは見事じゃのぅ」
「実に美しゅうございますね……」
頼朝は妻の政子(演:小池栄子)と共に比企邸を訪れ、三浦義澄(演:佐藤B作)や足立遠元(演:大野泰広)らの宿老も同行。
その日は夜まで酒宴を開き、大いに盛り上がったということです。
こうして始まった鎌倉での重陽節。文治5年(1189年)からは鶴岡八幡宮で臨時祭が執り行われるようになりました(ただしこの年は奥州へ遠征中)。
臨時祭では流鏑馬や競馬(くらべうま)、相撲(すまい)などの奉納試合が行われ、大いに盛り上がったことでしょう。