根來寺に鉄砲隊あり!「天才」により開かれ戦国の世にその名を轟かせた名刹:3ページ目
根來寺の敗北
さて、石山本願寺の合戦の折には、根來衆は織田方に就いて活躍します。織田信長が雑賀衆を討伐する際もその力を貸しました。
しかし信長が本能寺の変で討たれると、根來衆は雑賀衆と共に徳川方に就きます。さらに秀吉の留守中に岸和田城に侵攻したことから秀吉の怒りを買い、1585年には秀吉の紀州征伐を受けてしまいました。
根來寺は、雑賀衆の鉄砲隊とともに抵抗しますが秀吉の10万の軍勢に次々と打ち破られて敗北します。
寺の境内は焼き討ちに遭い、大師堂や大塔など数棟を残して焼け落ちてしまいました。現在も大塔には当時の戦乱の激しさを示す弾痕が残っており、明治時代には国宝に指定されています。
境内全体が灰燼と化すような大火の中、これらの塔だけが綺麗に残ったことについては、何らかの意図があると考える説もあります。
参考資料