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根來寺に鉄砲隊あり!「天才」により開かれ戦国の世にその名を轟かせた名刹

根來寺に鉄砲隊あり!「天才」により開かれ戦国の世にその名を轟かせた名刹

僧兵+鉄砲!

さて、彼が説いた新義真言宗は真言宗の一派で、従来の真言宗が教えを説く際に像や言葉を使わない「本地身説法」だったのに対して、大日如来が説法のために尊いその姿を表して教えを説く「加持身説法」を解きます。

これは、覚鑁の弟子達が、師である覚鑁の教えをもとに確立させたものといわれています。

根來寺の規模はとても大きく、一番栄えていた頃でその敷地は400万平方メートルに及んでいたことが発掘調査でわかっています。

坊舎は2,700以上、そこに根來衆と呼ばれる僧兵が1万人ほど暮らし、一つの大きな宗教都市を構成していました。

他にも、根來寺が他の寺と大きく違うのは、僧兵で結成された鉄砲隊を擁していた点です。

紀伊国には、根來寺の津田監物算長という人物によって鉄砲が持ち込まれたといわれています。

算長は自ら種子島に渡り、南蛮製の鉄砲と火薬の製法を持ち帰ると、根來に住む鍛冶師・芝辻清右衛門に製作を依頼しました。

日本最古の砲術である津田流砲術の津田とは、この津田監物算長のことをいいます。

そして、いち早く鉄砲を入手し、その量産に成功した根來衆はどんどん勢力を伸ばします。

その勢力は紀伊内に留まらず、和泉や岸和田に及びました。周辺の戦国大名たちも根來衆のことは無視できませんでした。

3ページ目 根來寺の敗北

 

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