坂東武者の鑑・畠山重忠(中川大志)を射止めた愛甲季隆とは何者だったのか【鎌倉殿の13人】:3ページ目
エピローグ「苦い盃」
とまぁそんな具合に楽しく愉快な時は過ぎ去り、元久2年(1205年)6月22日。
「武蔵国留守所惣検校職(むさしのくにるすどころそうけんぎょうしき)畠山次郎、この愛甲三郎が討ち取ったり!」
坂東武者の鑑と謳われ、皆から敬愛されていた重忠の首級を上げて、季隆は何を思ったのでしょうか。
かつて(重忠に謀叛の疑いがかけられた時、必死に弁護したほどの)親友であった下河辺行平や、先陣を真っ先駆けていた安達景盛(演:新名基浩)を出し抜いて、この手で重忠を討ち果たした。討ち果たしてしまった。
誰もが避けたかったけど、誰かがやらねばならぬなら、自分が進んで出たまでのこと。
季隆はじめ御家人たちは畠山一族の遺領が分け与えられ、7月1日には和田義盛の椀飯で酒宴が開かれたものの、その盃はさぞや苦かったことと拝察します。
※参考文献:
- 関幸彦ら編『源平合戦事典』吉川弘文館、2006年11月
- 安田元久『武蔵の武士団 その成立と故地をさぐる』有隣新書、1984年12月
- 湯山学『相模武士 四 海老名党・横山党 曽我氏・山内首藤氏・毛利氏』戎光祥出版、2011年9月