なにげに?歴史を動かした男「新田義貞」鎌倉幕府を倒した隠れた功労者の足跡を追う:2ページ目
幕府軍を撃破
そして幕府から軍費調達のために徴税使が義貞の元を訪れますが、重い徴税に耐えかねた義貞はなんとこの徴税使を斬り捨ててしまいました。
これが原因で、もともと少なかった領地はさらに没収されてしまい、義貞は討幕を決意して軍を挙兵します。
初めは150ほどの兵しかいなかった義貞軍ですが、反幕府に賛同した越後や甲斐から5千の兵が加わりました。これは各地で増えてゆき、最終的には20万もの軍勢になったといわれています。
義貞の軍が鎌倉を攻める際、山側と海側からの挟撃を試みましたが、稲村ヶ崎はちょうど満潮であったため海側から攻めることができませんでした。
この時、義貞が黄金に光る太刀を海に奉納すると、海の龍神がそれに応え潮が引いたという伝説が残っています。
超人的な力が働いたのか、それとも義貞が潮の満ち引きを計算していたのか定かではありませんが、これにより義貞の軍は鎌倉御所を挟撃することに成功します。
追い詰められた北条高時は家臣と共に自害し、義貞はわずか15日で鎌倉幕府を滅亡させました。
このように、討幕の功労者となった義貞でしたが、十分な恩賞は得られませんでした。