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「鎌倉殿の13人」畠山重忠・重保父子に迫る最期の刻。第35回放送「苦い盃」予習【前編】

「鎌倉殿の13人」畠山重忠・重保父子に迫る最期の刻。第35回放送「苦い盃」予習【前編】

稲毛重成、久々の登場だが……

鎌倉中不靜。近國之輩群參。被整兵具之由。有其聞。又稻毛三郎重成入道。日來者蟄居武藏國。近曾依遠州招請。引從類參上。人恠之旁有説等云々。

※『吾妻鏡』元久2年(1205年)4月11日条

時は元久2年(1205年)4月。鎌倉に近隣の御家人たちが武装して集まり、何だか不穏な空気が漂ったと言います。

そんな中、日ごろ地元の武蔵国に引きこもりがちであった稲毛重成(演:村上誠基)も鎌倉へやって来ました。舅の北条時政に呼ばれたのです。

妻のあき(演:尾碕真花。稲毛女房)に先立たれた悲しみで出家。稲毛入道などと呼ばれていましたが、時政との絆は変わらず続いていました。

「よぅ、三郎(重成)。お前ぇに来てもらったのはほかでもねぇ……」

ここで時政と重成が何を話したかは分かりませんが、やがて鎌倉に静けさが戻り、御家人たちが地元へ引き上げた後も重成は鎌倉にとどまります。

世上物忩頗靜謐。群參御家人依仰大半及歸國云々。

※『吾妻鏡』元久2年(1205年)5月3日条

【意訳】世の騒ぎがすこぶる静けさを取り戻した。そこで集まってきていた御家人たちも、大半が国元へ帰っていったそうな。

もしかしたら、4月の騒ぎは軍勢を率いた重成たちをカモフラージュするために時政が噂を流したのかも知れません。

「おい三郎。畠山のとこから六郎を呼んでくれ」

「畏まりました」

六郎とは重忠の嫡男・畠山重保(演:杉田雷麟)のこと。重成にとっては従甥(従兄の子)に当たり、前年京都で平賀朝雅(演:山中崇)と諍いを起こしています。

……及夕。畠山六郎重保自武藏國參着。是稻毛三郎重成入道招寄之云々。

※『吾妻鏡』元久2年(1205年)6月20日条

そして6月20日の夕方になって武蔵国から重保が鎌倉へ到着。久しぶりに従叔父と会って、楽しいひとときを過ごしたのでしょうか。

しかし重成は時政に重保の到着≒身柄確保を通報。いよいよ計画を実行に移そうとするのでした。

3ページ目 義時と時房、必死の反対も虚しく……

 

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