「鎌倉殿の13人」義時に第3の女”のえ”登場!第34回放送「理想の結婚」予習:3ページ目
義時「第3の女」のえとの結婚生活
さて、義時にとって第3の妻(正室としては2番目、後室)となる”のえ”。
伊賀の方(伊賀氏)と呼ばれる彼女と義時の出会いについて『吾妻鏡』にはこれまた記述がありません。だからこそ、大河ドラマのアレンジに注目が集まるところです。
なので結構時期は不明ながら、元久2年(1205年)に嫡男の北条政村(まさむら)を産んでいるため、建仁3年(1203年)9月に比企一族が滅亡して比奈(演:堀田真由。姫の前)が義時の元を去った直後から建仁4年(1204年、元久元年)ごろと考えられます。
承元2年(1208年)には次男(義時の子としては六男)の北条実義(さねよし。後に北条実泰と改名)を生みました。
義時はこの子たちを大変可愛がり、幸せに暮らしていたことでしょうが、義時の死によって彼女たちの人生が急変します。
北条家の跡継ぎ候補は長男の北条泰時(演:坂口健太郎)と、五男の北条政村。政村は嫡男であり、また元服して家督を継承する資格は十分。しかし執権として鎌倉殿を支えるには流石に若すぎ、やはり承久の乱で大将を務めた泰時の人望には敵いません。
果たして尼将軍・政子(演:小池栄子)の後押しもあって後継者争い(伊賀氏の変)に敗れた”のえ”は伊豆へ流されてしまいました(ただし政村・実泰兄弟は不問)。
貞応3年(1224年)12月に危篤となり、間もなく現地で亡くなったと見られます。
一説には義時を毒殺したという証言(藤原定家『明月記』安貞元年(1227年)6月11日条)もあり、二人の間に何があったのか気になるところです。
終わりに
以上『吾妻鏡』から実朝&坊門姫と義時&のえ(伊賀の方)の結婚エピソードを紹介しました。
殺伐とした展開の多い本作における後半の箸休め的な回となることが予想されるものの、油断は禁物。
既に新たな災い(武蔵国を巡る利権争い、そして畠山重忠の乱)の種はまかれるなど、まだまだ悲劇は目白押しです。
成長著しい実朝の晴れ姿がどのように描かれるのか、そして第3の女・のえが義時にどんなメッセージを贈るのか、今から楽しみにしています。
※参考文献:
- 永井晋『鎌倉幕府の転換点 『吾妻鏡』を読みなおす』NHKブックス、2000年12月
- 野口実 編『図説 鎌倉北条氏 鎌倉幕府を主導した一族の全歴史』戎光祥出版、2021年9月