御家人の定義とは?最後まで「頼朝の武士団」であろうとした鎌倉幕府の理想と現実:2ページ目
とは言え、この事態に手をこまねくばかりではなく、鎌倉幕府当局も対策を講じています。
一つ、御家人たるべき輩の事、 弘安十 五 廿五御沙汰
祖父母、御下文を帯するの後、子孫、所領を知行せざると雖も、御家人として安堵せしむるの条、先々の成敗に相違すべからず。但し其の身の振る舞いに依り、許否の沙汰あるべきか。※「御成敗式目」追加法第609条、弘安10年(1287年)5月25日付
【意訳】御家人の定義について、弘安10年(1287年)5月25日に取り決めた。
祖父母が頼朝公の時代にいただいた御下文(おんくだしぶみ)を持っている者は、所領がなくても御家人として認めることは、以前に判例が出た通りである。ただし、本人の振る舞いによって許否を判断する場合もある。
時代が下るにつれ、祖先が恩賞として賜った所領を失ってしまった御家人が多かったことが察せられます。
「それでもかつて所領を賜った証文があるなら、御家人として認めてやろう」という救済と、御下文を持たないニセ御家人の排除が図られたのでした。
ただし、せっかく証文を持っていても御家人に相応しくない振る舞いの者については、祖先の功績(御家人の資格)を取り消すと釘を刺しています。
幕府はさらに、御下文の効力を曾祖父にまで拡大しました。
一つ、御家人たるべき輩の事、
曾祖父の時、御下文を成さるるの後、子孫、所領を知行せざると雖も、御家人として安堵せしむべきか。
正応六年五月廿五日 評定※「御成敗式目」追加法第639条、正応6年(1293年)5月25日付
先の条文と合わせて「曽祖父または祖父母の世代が頼朝に仕えていたことが証明できる者」つまり「頼朝に仕えた者の子孫」が御家人の定義とされたようです。
終わりに
時代が下るにつれて諸事情から所領を手放さざるを得ないほど落ちぶれても、頼朝時代からの絆はずっと変わらない。実態はともかく、そのような草創期の理想を求め続けたことが判ります。
(一時は西国における支配体制を確保するべく、御家人の新規登録を図ったいわゆる「鎮西名主職安堵令」が出されたものの、先の二ヶ条により反故とされた形です)
最期まで「頼朝の武士団」であろうとした鎌倉幕府。彼らの心には、いついかなる時も(会ったことさえなくても)頼朝が君臨し続けていたのでしょう。
※参考文献:
- 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
- 上横手雅敬 編『鎌倉時代の権力と制度』思文閣出版、2008年9月