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「明暦の大火」で多くの遊女が蒸し焼きに。全焼失した元吉原が進化した”新吉原”とは?

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新吉原の規模とは

吉原は縦が京間で百三十五間、横が百八十間の長方形で、総坪数は二万七百六十七坪、東京ドームが約一万四千坪ですから、いかに広い敷地だったかが分かると思います。

周囲には忍返が植えられた黒板塀がめぐらされており、更にその外側にお歯黒どぶと呼ばれる堀がぐるりと取りかこんでいました。

遊女の逃亡を防ぐために設けたもので、堀の幅はおよそ二間(約三・六メートル)。遊女たちが使ったお歯黒の汁を捨てたところからその名がついたといいます。

江戸の田舎だけど大繁栄!

まわりには吉原田圃と呼ばれた田んぼがひろびろと広がっていたということで、いわゆる江戸の都市の中心ではなかった事が分かります。

しかしそんな田舎の吉原が、「夜と昼朝とへ落る日千両」(夜は吉原、昼は芝居街、朝は日本橋の魚河岸に毎日千両ずつ金が落ちる)と詠まれるほどの繁栄を喫する地となるのです!

参考文献:永井義男「図説 吉原入門」

 

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