【三大法難その①】専修念仏をやめろ!?「元久の法難」で浄土宗と開祖・法然にふりかかった災難:2ページ目
2ページ目: 1 2
危機を逃れた、が…
ちなみに、先述したこの請戒は現在も京都嵯峨二尊院に残っており、その署名の中には、当時、綽空(しゃっくう)と名乗っていたかの親鸞の名もみえます。
これに加えて、法然に関わりが深い前関白・九条兼実の口添えもあって、延暦寺の僧たちの訴えは落ち着き、法然は救われました。
しかしその後、南都の興福寺でも法然の専修念仏の停止を求める訴えが起こり、朝廷へと訴状が送られます。
朝廷はこれに対して、一連の問題は法然の門弟達の浅智が原因であるとし、専修念仏の停止や法然の処罰までは行わないと決定しました。
この「元久の法難」では、朝廷の後鳥羽上皇は、浄土宗に対してまだ距離を置いていたようです。しかしその後、ついに上皇自ら浄土宗のあり方を断ずる措置が取られ、「建永の法難」へと続いていくことになります。
参考資料
ページ: 1 2